10月5日 源氏物語 桐壺

<原文>
 輦車の宣旨などのたまはせても、また入らせたまひて、さらにえ許させたまはず。「限りあらむ道にも、おくれ先立たじと契らせたまひけるを、さりともうち捨てては、え行きやらじ」とのたまはするを、女もいといみじと見たてまつりて、
「限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけりいとかく思うたまへましかば」
と、息も絶えつつ、聞こえまほしげなることはありげなれど、いと苦しげにたゆげなれば、かくながら、ともかくもならむを御覧じ果てむとおぼしめすに、「今日始むべき祈りども、さるべき人々うけたまはれる、今宵より」と聞こえ急がせば、わりなく思ほしながら、まかでさせたまふ。御胸つとふたがりて、つゆまどろまれず、明かしかねさせたまふ。御使の行きかふほどもなきに、なほいぶせさを限りなくのたまはせつるを、「夜中うち過ぐるほどになむ、絶えはてたまひぬる」とて泣き騒げば、御使もいとあへなくて帰り参りぬ。きこしめす御心まどひ、何ごともおぼしめし分かれず、籠りおはします。


<現代語訳>
 輦車の宣旨など仰ったものの、また(桐壺更衣の部屋に)お入りなさって、(宮中からの退出を)まったくお許しなさることができない。「死出の旅路にも、遅れ先立つまいと約束なさったのに、いくらなんでも私を残しては、(里へ)行かれまい」と仰るのを、女もたいへん悲しいとお思い申し上げて、
「最後と思って別れる道の悲しさにつけても、生(行)きたいのは(死出の道ではなく)命です、このようになると存じ上げていたならば」
と、息も絶え絶えに、申し上げたいことはありそうだけれど、とても苦しく疲れた様子なので、このまま生死の程を見届けようとお思いなさるが、「今日から始める予定の祈祷の数々、しかるべき僧たちが承っています、今夜から」と申し上げて急かすので、どうにも耐えがたくお思いになりながら、退出させなさる。胸が塞がり、まったく眠れず、夜を明かしかねなさる。お見舞いの勅使が行き来する程の時間も経っていないのに、気がかりなお気持ちを絶え間なく仰ったが、「夜中過ぎに、息をお引きとりなさった」といって泣き騒ぐので、勅使もたいそうがっかりして帰ってきた。お聞きになられた御心は悲嘆に暮れ、何事も分別がつかず、引き籠っていらっしゃる。

<語彙>
のたまはす…天皇、上皇、皇后、中宮などに用いられる最高敬語

<注釈>
輦車…輿に車輪をつけて人が手で引く車
宣旨…中務省を経ずにうちわの手続で出される勅命
女…桐壺の更衣
いかまほしき…「行く」「生く」の掛詞

テーマ : 古文 - ジャンル : 学問・文化・芸術

Tag : 源氏物語 桐壺 現代語訳

11月1日 蜻蛉日記

<原文>
 かくありし時過ぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経る人ありけり。かたちとても人にも似ず、心魂もあるにもあらで、かうものの要にもあらであるも、ことわりと思ひつつ、ただ臥し起き明かし暮らすままに、世の中におほかる古物語の端などを見れば、世におほかるそらごとだにあり。人にもあらぬ身の上まで書き日記して、めづらしきさまにもありなむ。天下の人の、品高きやと、問はむためしにもせよかし、とおぼゆるも、過ぎにし年月ごろのことも、おぼつかなかりければ、さてもありぬべきことなむおほかりける。

<現代語訳>
 このように様々なことのあった歳月も過ぎて、世の中にたいそう頼りなく、ああにもこうにも落ち着かぬ状態で、この世に暮らす人がいた。容姿といっても人並みでなく、思慮分別があるわけでもなくて、このように役にも立たないのも、道理だと思いつつ、ただ日々を過ごしながら暮らすのにまかせて、世の中にたくさん流布している古物語の片端などを見ると、世の中に多くある作り話さえ書いてある。人並みでもない身の上まで日記に書けば、きっと目新しいものになるであろう。世間の人が、身分の高い人の暮らしはどんな風かしらと、もし問うたときの先例にもしてくださいね、と思われるも、過ぎ去った年月のことも、はっきりしなかったので、そのまま書かずにおくべきことが多く混り込んでしまったことだ。

<語彙>
もの(接頭語)…(形容詞・形容動詞に付いて)何となく
はかなし…はっきりしない、頼りない
ふ(経)…時が過ぎる
心魂…思慮分別、精神、才覚
そらごと…作りごと
めづらし…目新しい、素晴らしい
ためし…例、先例、ならわし

<注釈>
とにもかくにもつかで…夫兼家の来訪が途絶え、筆者は妻であるのかはっきりとしない不安定な状態にある
世に経る人…筆者
問はむ…助動詞「む」は仮定の意
おほかりける…助動詞「けり」は詠嘆の意

蜻蛉日記
日記。三巻。藤原道綱母作。977年成立か。藤原兼家との結婚に始まり,夫との不和,子への愛情など二一年間の生活をつづる。女性の筆になる最初の日記文学〔大辞林〕

テーマ : 古文 - ジャンル : 学問・文化・芸術

Tag : 蜻蛉日記 藤原道綱母 現代語訳

10月18日 源氏物語 澪標

<原文>
 さやかに見えたまひし夢の後は、院の帝の御ことを心にかけきこえたまひて、いかで、かの沈みたまふらむ罪救ひたてまつることをせむと、おぼし嘆きけるを、かく帰りたまひては、その御いそぎしたまふ。神無月に御八講したまふ。世の人なびきつかうまつること、昔のやうなり。
 大后、なほ御なやみ重くおはしますうちにも、つひにこの人をえ消たずなりなむことと心病みおぼしけれど、帝は、院の御遺言を思ひきこえたまふ。ものの報いありぬべく思しけるを、なほし立てたまひて、御ここち涼しくなむおぼしける。時々おこりなやませたまひし御目もさはやぎたまひぬれど、おほかた世にえ長くあるまじう、心細きこととのみ、久しからぬことをおぼしつつ、常に召しありて、源氏の君は参りたまふ。世の中のことなども、隔てなくのたまはせなどしつつ、御本意のやうなれば、おほかたの世の人も、あいなくうれしきことによろこびきこえける。


<現代語訳>
 (故桐壺院が)はっきりと現れなさった夢の後は、故桐壺院のことを心にかけ申し上げなさって、どうにかして、あの地獄に沈んでいらっしゃるという罪を救い申し上げようと、切に願っていらっしゃったのを、このように帰京なさっては、そのご準備をなさる。神無月に法華八講をなさる。世間の人が心を寄せ申し上げること、昔のようである。
 大后は、いまだご病気が重くいらっしゃる間にも、ついにこの人を押さえつけられずに終わってしまうことだとつらく思っていらっしゃるけれど、帝は、故桐壺院の遺言を思い申し上げなさる。きっと報いがあるだろうと思っていらっしゃったが、(源氏を)もとの地位にお戻しなさって、お気持ちも清々しくお思いになった。時々病気にお苦しみになった目も良くなられたけれど、おおよそ長生きできそうになく、不安なことと、長からぬお命のことをお思いになりながらも、常にお召しがあって、源氏は(宮中に)参上なさる。政治のことなども、隔てなく仰せになったりしては、本来のお望みのようなので、たいていの世間の人も、わけもなく嬉しいことと喜び申し上げた。

<語彙>
さやか…はっきりしている、明瞭である
見ゆ…自然と情景が視界に入ってくる、現れる
しづ(沈)む…罪・地獄などに落ち込む
嘆く…悲しむ、切に願う
八講…法華八講、法華経八巻を講ずる法会
なび(靡)く…心を寄せる
おほきさき(大后)…天皇の皇后、先帝の皇后
消つ…消す、除く、押さえつける、圧倒する
心病む…心を痛める、つらく思う
なほ(直)した(立)つ…過ちを改める、もとの正しい状態に直す
涼し…澄んで清い、心がさわやかである、清々しい
さは(爽)やぐ…気分、病気が良くなる
おほかた(大方)…だいたい、おおよそ、(下に打消しの語を伴い)全然、少しも
心細し…頼りなく心配・不安である
世の中…治世、政治
のたまはす…おおせになる、おっしゃる
本意…本来の意思、望み
あいなく…むやみやたらに、わけもなく

<注釈>
さやかに見えたまひし夢…故桐壺院が源氏の夢枕に立つ話は「明石」の巻を参照
かの沈みたまふらむ罪…桐壺帝は醍醐天皇を思わせる記述がなされているが、醍醐天皇には生前に犯した罪で地獄に落ちたという伝説があるという
おほきさき(大后)…弘徽殿大后
この人…源氏
帝…朱雀帝
院…故桐壺院
院の御遺言…桐壺院が朱雀帝に源氏を重んじるよう遺言する話は「賢木」の巻を参照
ものの報い…源氏を失脚させた報い

澪標
源氏物語第14巻の巻名。光源氏28歳から29歳。冷泉帝の即位、源氏の内大臣昇進、明石の上の女児出産などを描く〔大辞泉〕

テーマ : 古文 - ジャンル : 学問・文化・芸術

Tag : 源氏物語 澪標 現代語訳

12月14日 源氏物語 桐壺

<原文>
 その年の夏、御息所、はかなきここちにわづらひて、まかでなむとしたまふを、暇さらに許させたまはず。年ごろ、常のあつしさになりたまへれば、御目馴れて、「なほしばしこころみよ」とのみのたまはするに、日々におもりたまひて、ただ五六日のほどに、いと弱うなれば、母君泣く泣く奏して、まかでさせたてまつりたまふ。かかるをりにも、あるまじき恥もこそと心づかひして、御子をばとどめたてまつりて、忍びてぞいでたまふ。限りあれば、さのみもえとどめさせたまはず、御覧じだに送らぬおぼつかなさを、いふかたなく思ほさる。いとにほひやかに、うつくしげなる人の、いたう面痩せて、いとあはれとものを思ひしみながら、言にいでても聞こえやらず、あるかなきかに消え入りつつものしたまふを御覧ずるに、来しかた行く末おぼしめされず、よろづのことを泣く泣く契りのたまはすれど、御いらへもえ聞えたまはず、まみなどもいとたゆげにて、いとどなよなよと、我かのけしきにて臥したれば、いかさまにと、おぼしめしまどはる。

<現代語訳>
 その年の夏、御息所は、ふとした病気を患って、(実家へ)退いてしまおうとなさるけれど、(帝は)暇を全くお許しなさらない。ここ数年、常に病気がちになっていらっしゃるので、見慣れて「そのまましばらく(宮中で養生を)試みよ」とばかり仰るうちに、日に日にご病気が重くなり、ただ五六日の間に、ひどく衰弱するので、(桐壺更衣の)母君は泣きながら(帝に)申し上げて、退かせ申し上げなさる。(桐壺更衣は)このような折にも、あってはならぬ恥を受けてはならないと気を配り、御子をとどめ申し上げて、忍んで(宮中から)ご退出なさる。限りがあるので、(帝は)たいしてお引きとめなさることができず、お見送りさえままならぬ気がかりを、どうしようもなく思われなさる。たいへん艶があって美しく、かわいらしい方が、ひどく顔もやつれて、とても悲しいと心に深く思いながら、言葉にしてすっかり申し上げることもせず、生きているのかわからないほど弱々しく意識も失いがちでいらっしゃるのをご覧になると、過去も未来もお考えなさることができず、様々なことを泣きながらお約束なさるが、(桐壺更衣は)お返事も申し上げることができず、眼差しもたいへんだるそうで、常よりいっそう弱々しく、意識もはっきりしない様子で臥せているので、(帝は)どうしたらよいだろうかと、思わず途方に暮れなさる。

<語彙>
御息所…御子を生んだ女御、更衣の呼称
はかなし…あっけない、はっきりしない
ここち…病気
まかづ…「退く」「去る」の謙譲語。退き去る、退出する
さらに…(下に打消の語を伴って)全く~(ない)、決して~(ない)
奏す…(天皇・上皇・法皇に)申し上げる
もこそ…~しては困る、~したら大変だ
こころづかひ…気配り
さのみ…(下に打消の語を伴い)それほど、たいして
とどむ…(他動詞)引きとめる
御覧じ送る…お見送りなさる
おぼつかなし…気がかりだ、不安だ
いふかたなし…言っても仕方がない、どうしようもない
思ほさる…「る」は自発の意
にほ(匂)ひやかなり…艶があって美しい、華やかで美しい
面痩せる…顔がやせてほっそりとなる、顔がやつれる
おもひしむ…心にしみて深く思う、しみじみ思う
きこえやる…「言ひ遣る」(すらすらと言う)の謙譲語。多く下に打消の語を伴う
あるかなきか…生きているのか死んでいるのかわからないほど弱々しい
消え入る…正気を失う、息が絶える
思しめされず…「れ」は可能の意
なよなよと…弱々しいさま、力なく頼りないようす
我か…「我か人か」の略。自他を区別できないほどぼんやりする様子
思しまどふ…「思ひ惑ふ」(途方に暮れる)の尊敬語
思しめしまどはる…「る」は自発の意

<注釈>
その年…源氏が3歳になった年
御息所…桐壺更衣のこと
あるまじき恥もこそ…嫌がらせをされて、御子の体面が傷つけられることを気遣う
限りあれば…宮中では死の穢れを憚って死期が近づけば退出するしきたりがある

テーマ : 古文 - ジャンル : 学問・文化・芸術

Tag : 源氏物語 桐壺 現代語訳

11月23日 源氏物語 桐壺

<原文>
 この御子三つになりたまふ年、御袴着のこと、一の宮のたてまつりしに劣らず、内蔵寮・納殿の物を尽くして、いみじうせさせたまふ。それにつけても、世のそしりのみ多かれど、この御子のおよすけもておはする御容貌、心ばへ、ありがたくめづらしきまで見えたまふを、え嫉みあへたまはず。ものの心知りたまふ人は、かかる人も世にいでおはするものなりけりと、あさましきまで目をおどろかしたまふ。


<現代語訳>
 この御子が三歳になられる年、袴着の儀式は、一の宮がお召しになったものにも劣らず、内蔵寮・納殿の物を出し尽くし、盛大になさる。そのことについても、世間の非難が大変多いけれど、この御子の次第に成長していらっしゃる容姿、気立ては、滅多にないほど素晴らしくお見えになるので、憎らしくお思いなさることもできない。物事の道理をお分かりなさる方は、このような方もこの世にお生まれになるのだなあと、驚きあきれるくらい目を見張りなさる。

<語彙>
こと…儀式、行事
たてまつる…「乗る」「飲む」「食ふ」「着る」の尊敬語
のみ(副助詞)…限定、強調
およすく…成長する、大人になる、大人びる
もて…上下の動詞の間に入り「次第に」の意を表す。下の語は「行く」「おはす」に限られる
おはす…いらっしゃる
ありがたし…滅多にない
まで(副助詞)…(限界)~まで、(程度)~くらい、(添加)~までも
え~ず…~できない
妬む…憎らしく思う、悔しがる
あ(敢)へず…動詞の連用形に接続。「~しきれない」「~しようとしてできない」の意
心…道理をわきまえる心
いでおはします…お出ましになる、出てこられる、お生まれになる、「出で来」の尊敬語
けり(助動詞)…詠嘆
あさまし…驚きあきれるばかりである、興ざめだ
目を驚かす…驚嘆して目を見張る

<注釈>
この御子…光源氏
袴着…男子が初めて袴を着る儀式、3~7歳の間に行う
一の宮…弘徽殿女御の御子、後の朱雀帝
内蔵寮(くらづかさ)…中務省に属し、宮中の宝物などを納める倉を管理する役所
納殿(をさめどの)…宮中の宜陽殿にあり金銀、衣服、調度などを納めておくところ

テーマ : 古文 - ジャンル : 学問・文化・芸術

Tag : 源氏物語 桐壺 現代語訳