2月23日 源氏物語 桐壺

<原文>
「むなしき御骸を見る見る、なほおはするものと思ふが、いとかひなければ、灰になりたまはむを見たてまつりて、今は亡き人と、ひたぶるに思ひなりなむ」と、さかしうのたまひつれど、車よりも落ちぬべうまろびたまへば、さは思ひつかしと、人びともてわづらひきこゆ。 内裏より御使あり。三位の位贈りたまふよし、勅使来て、その宣命読むなむ、悲しきことなりける。女御とだにいはせずなりぬるが、あかずくちをしうおぼさるれば、いま一階の位をだにと、贈らせたまふなりけり。これにつけても憎みたまふ人々多かり。もの思ひ知りたまふは、様、容貌などのめでたかりしこと、心ばせのなだらかにめやすく、憎みがたかりしことなど、今ぞおぼしいづる。さまあしき御もてなしゆゑこそ、すげなう嫉みたまひしか、人がらのあはれに情ありし御心を、上の女房なども恋ひしのびあへり。「なくてぞ」とは、かかるをりにやと見えたり。

<現代語訳>
「(更衣の母は)亡骸を見ながらも、やはりまだいらっしゃるものと思うが、甲斐もないので、灰になるのを見て、今は亡き人と、一途に思いましょう」と、しっかり仰ったけれど、車から転び落ちそうになられるので、そうだと思ったと、人々も難儀する。宮中より使いがある。三位の位をお贈りになる由、勅使が来て、宣命を読むのも、悲しいことであった。(帝は)女御とさえ呼ばせぬままになってしまったのが、心残りで残念に思われるので、一つ上の位だけでもと、お贈りなさったのであった。このことにつけても、お憎みになる人々が多い。世の情理をわきまえた方は、容姿、顔立ちなどのすばらしかったこと、気立てが穏やかでかどが立たず、憎めなかったことなどを、今になって思い出される。(帝の)見苦しいまでのご寵愛ゆえに、そっけなく妬んでいらっしゃったが、(桐壺更衣の)いとしく思いやりのある人柄を、帝づきの女房なども懐かしくお思いになった。「亡くなってしまってから」とは、こういうことであろうかと思われた。

<注釈>
「なくてぞ」…『源氏釈』は以下の和歌をあげる。「あるときはありのすさびに憎かりきなくてぞ人は恋しかりける」(出所不詳)

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11月26日 源氏物語 桐壺

<原文>
 御子は、かくてもいと御覧ぜまほしけれど、かかるほどにさぶらひたまふ、例なきことなれば、まかでたまひなむとす。何事かあらむとも思したらず、さぶらふ人々の泣きまどひ、上も御涙のひまなく流れおはしますを、あやしと見たてまつりたまへるを、よろしきことにだに、かかる別れの悲しからぬはなきわざなるを、ましてあはれにいふかひなし。
 限りあれば、例の作法にをさめたてまつるを、母北の方、同じ煙にのぼりなむと、泣きこがれたまひて、御送りの女房の車にしたひ乗りたまひて、愛宕といふ所にいといかめしうその作法したるに、おはし着きたる心地、いかばかりかはありけむ。


<現代語訳>
 御子は、喪中でも(帝は)たいへんご覧になりたいけれど、こうした時に宮中にお仕えなさるのは、例のないことなので、退出しようとなさる。何事かお分かりにならず、お仕えなさっている人々がたいそう泣いて、帝も絶え間なく涙を流されるのを、不思議そうに見ていらっしゃる、普通の場合でさえ、このような別れを悲しまぬことはないのに、ましてその悲しさは言うべき言葉もない。
 (亡骸をこのままにしておくにも)限りがあるので、通例の作法にて(棺に)お納め申し上げるが、母北の方は、同じ煙になって空へ上りたいと、泣き焦がれなさって、お送りの女房の車に後からお乗りになり、愛宕というたいそう厳かに葬儀を行っている所に、行き着きなさった時のお気持ちは、どのようなものであったであろうか。

<注釈>
御子…光源氏
例なきこと…延喜七年(九〇七年)以降、七歳以下の子供は親の喪に服すに及ばないこととなったため、この物語の時代は九〇七年以前ということになる
例の作法…火葬
母北の方…桐壺更衣の母

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10月5日 源氏物語 桐壺

<原文>
 輦車の宣旨などのたまはせても、また入らせたまひて、さらにえ許させたまはず。「限りあらむ道にも、おくれ先立たじと契らせたまひけるを、さりともうち捨てては、え行きやらじ」とのたまはするを、女もいといみじと見たてまつりて、
「限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけりいとかく思うたまへましかば」
と、息も絶えつつ、聞こえまほしげなることはありげなれど、いと苦しげにたゆげなれば、かくながら、ともかくもならむを御覧じ果てむとおぼしめすに、「今日始むべき祈りども、さるべき人々うけたまはれる、今宵より」と聞こえ急がせば、わりなく思ほしながら、まかでさせたまふ。御胸つとふたがりて、つゆまどろまれず、明かしかねさせたまふ。御使の行きかふほどもなきに、なほいぶせさを限りなくのたまはせつるを、「夜中うち過ぐるほどになむ、絶えはてたまひぬる」とて泣き騒げば、御使もいとあへなくて帰り参りぬ。きこしめす御心まどひ、何ごともおぼしめし分かれず、籠りおはします。


<現代語訳>
 輦車の宣旨など仰ったものの、また(桐壺更衣の部屋に)お入りなさって、(宮中からの退出を)まったくお許しなさることができない。「死出の旅路にも、遅れ先立つまいと約束なさったのに、いくらなんでも私を残しては、(里へ)行かれまい」と仰るのを、女もたいへん悲しいとお思い申し上げて、
「最後と思って別れる道の悲しさにつけても、生(行)きたいのは(死出の道ではなく)命です、このようになると存じ上げていたならば」
と、息も絶え絶えに、申し上げたいことはありそうだけれど、とても苦しく疲れた様子なので、このまま生死の程を見届けようとお思いなさるが、「今日から始める予定の祈祷の数々、しかるべき僧たちが承っています、今夜から」と申し上げて急かすので、どうにも耐えがたくお思いになりながら、退出させなさる。胸が塞がり、まったく眠れず、夜を明かしかねなさる。お見舞いの勅使が行き来する程の時間も経っていないのに、気がかりなお気持ちを絶え間なく仰ったが、「夜中過ぎに、息をお引きとりなさった」といって泣き騒ぐので、勅使もたいそうがっかりして帰ってきた。お聞きになられた御心は悲嘆に暮れ、何事も分別がつかず、引き籠っていらっしゃる。

<語彙>
のたまはす…天皇、上皇、皇后、中宮などに用いられる最高敬語

<注釈>
輦車…輿に車輪をつけて人が手で引く車
宣旨…中務省を経ずにうちわの手続で出される勅命
女…桐壺の更衣
いかまほしき…「行く」「生く」の掛詞

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12月14日 源氏物語 桐壺

<原文>
 その年の夏、御息所、はかなきここちにわづらひて、まかでなむとしたまふを、暇さらに許させたまはず。年ごろ、常のあつしさになりたまへれば、御目馴れて、「なほしばしこころみよ」とのみのたまはするに、日々におもりたまひて、ただ五六日のほどに、いと弱うなれば、母君泣く泣く奏して、まかでさせたてまつりたまふ。かかるをりにも、あるまじき恥もこそと心づかひして、御子をばとどめたてまつりて、忍びてぞいでたまふ。限りあれば、さのみもえとどめさせたまはず、御覧じだに送らぬおぼつかなさを、いふかたなく思ほさる。いとにほひやかに、うつくしげなる人の、いたう面痩せて、いとあはれとものを思ひしみながら、言にいでても聞こえやらず、あるかなきかに消え入りつつものしたまふを御覧ずるに、来しかた行く末おぼしめされず、よろづのことを泣く泣く契りのたまはすれど、御いらへもえ聞えたまはず、まみなどもいとたゆげにて、いとどなよなよと、我かのけしきにて臥したれば、いかさまにと、おぼしめしまどはる。

<現代語訳>
 その年の夏、御息所は、ふとした病気を患って、(実家へ)退いてしまおうとなさるけれど、(帝は)暇を全くお許しなさらない。ここ数年、常に病気がちになっていらっしゃるので、見慣れて「そのまましばらく(宮中で養生を)試みよ」とばかり仰るうちに、日に日にご病気が重くなり、ただ五六日の間に、ひどく衰弱するので、(桐壺更衣の)母君は泣きながら(帝に)申し上げて、退かせ申し上げなさる。(桐壺更衣は)このような折にも、あってはならぬ恥を受けてはならないと気を配り、御子をとどめ申し上げて、忍んで(宮中から)ご退出なさる。限りがあるので、(帝は)たいしてお引きとめなさることができず、お見送りさえままならぬ気がかりを、どうしようもなく思われなさる。たいへん艶があって美しく、かわいらしい方が、ひどく顔もやつれて、とても悲しいと心に深く思いながら、言葉にしてすっかり申し上げることもせず、生きているのかわからないほど弱々しく意識も失いがちでいらっしゃるのをご覧になると、過去も未来もお考えなさることができず、様々なことを泣きながらお約束なさるが、(桐壺更衣は)お返事も申し上げることができず、眼差しもたいへんだるそうで、常よりいっそう弱々しく、意識もはっきりしない様子で臥せているので、(帝は)どうしたらよいだろうかと、思わず途方に暮れなさる。

<語彙>
御息所…御子を生んだ女御、更衣の呼称
はかなし…あっけない、はっきりしない
ここち…病気
まかづ…「退く」「去る」の謙譲語。退き去る、退出する
さらに…(下に打消の語を伴って)全く~(ない)、決して~(ない)
奏す…(天皇・上皇・法皇に)申し上げる
もこそ…~しては困る、~したら大変だ
こころづかひ…気配り
さのみ…(下に打消の語を伴い)それほど、たいして
とどむ…(他動詞)引きとめる
御覧じ送る…お見送りなさる
おぼつかなし…気がかりだ、不安だ
いふかたなし…言っても仕方がない、どうしようもない
思ほさる…「る」は自発の意
にほ(匂)ひやかなり…艶があって美しい、華やかで美しい
面痩せる…顔がやせてほっそりとなる、顔がやつれる
おもひしむ…心にしみて深く思う、しみじみ思う
きこえやる…「言ひ遣る」(すらすらと言う)の謙譲語。多く下に打消の語を伴う
あるかなきか…生きているのか死んでいるのかわからないほど弱々しい
消え入る…正気を失う、息が絶える
思しめされず…「れ」は可能の意
なよなよと…弱々しいさま、力なく頼りないようす
我か…「我か人か」の略。自他を区別できないほどぼんやりする様子
思しまどふ…「思ひ惑ふ」(途方に暮れる)の尊敬語
思しめしまどはる…「る」は自発の意

<注釈>
その年…源氏が3歳になった年
御息所…桐壺更衣のこと
あるまじき恥もこそ…嫌がらせをされて、御子の体面が傷つけられることを気遣う
限りあれば…宮中では死の穢れを憚って死期が近づけば退出するしきたりがある

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11月23日 源氏物語 桐壺

<原文>
 この御子三つになりたまふ年、御袴着のこと、一の宮のたてまつりしに劣らず、内蔵寮・納殿の物を尽くして、いみじうせさせたまふ。それにつけても、世のそしりのみ多かれど、この御子のおよすけもておはする御容貌、心ばへ、ありがたくめづらしきまで見えたまふを、え嫉みあへたまはず。ものの心知りたまふ人は、かかる人も世にいでおはするものなりけりと、あさましきまで目をおどろかしたまふ。


<現代語訳>
 この御子が三歳になられる年、袴着の儀式は、一の宮がお召しになったものにも劣らず、内蔵寮・納殿の物を出し尽くし、盛大になさる。そのことについても、世間の非難が大変多いけれど、この御子の次第に成長していらっしゃる容姿、気立ては、滅多にないほど素晴らしくお見えになるので、憎らしくお思いなさることもできない。物事の道理をお分かりなさる方は、このような方もこの世にお生まれになるのだなあと、驚きあきれるくらい目を見張りなさる。

<語彙>
こと…儀式、行事
たてまつる…「乗る」「飲む」「食ふ」「着る」の尊敬語
のみ(副助詞)…限定、強調
およすく…成長する、大人になる、大人びる
もて…上下の動詞の間に入り「次第に」の意を表す。下の語は「行く」「おはす」に限られる
おはす…いらっしゃる
ありがたし…滅多にない
まで(副助詞)…(限界)~まで、(程度)~くらい、(添加)~までも
え~ず…~できない
妬む…憎らしく思う、悔しがる
あ(敢)へず…動詞の連用形に接続。「~しきれない」「~しようとしてできない」の意
心…道理をわきまえる心
いでおはします…お出ましになる、出てこられる、お生まれになる、「出で来」の尊敬語
けり(助動詞)…詠嘆
あさまし…驚きあきれるばかりである、興ざめだ
目を驚かす…驚嘆して目を見張る

<注釈>
この御子…光源氏
袴着…男子が初めて袴を着る儀式、3~7歳の間に行う
一の宮…弘徽殿女御の御子、後の朱雀帝
内蔵寮(くらづかさ)…中務省に属し、宮中の宝物などを納める倉を管理する役所
納殿(をさめどの)…宮中の宜陽殿にあり金銀、衣服、調度などを納めておくところ

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