8月31日 源氏物語 桐壺

<原文>
 父の大納言は亡くなりて、母北の方なむ、いにしへの人のよしあるにて、親うち具し、さしあたりて世のおぼえはなやかなる御かたがたにもいたう劣らず、なにごとの儀式をももてなしたまひけれど、とりたてて、はかばかしき後見しなければ、ことある時は、なほより所なく心細げなり。
 さきの世にも、御契りや深かりけむ、世になくきよらなる玉の男御子さへ生まれたまひぬ。いつしかと心もとながらせたまひて、急ぎ参らせて御覧ずるに、めづらかなるちごの御容貌なり。一の御子は、右大臣の女御の御腹にて、寄せ重く、疑ひなき儲けの君と、世にもてかしづききこゆれど、この御にほひには並びたまふべくもあらざりければ、おほかたのやむごとなき御思ひにて、この君をば、私物に思ほしかしづきたまふこと限りなし。


<現代語訳>
 (桐壺更衣の)父の大納言は亡くなり、母は古い家柄の出身で由緒ある人なので、両親そろって、現に世間の評判の甚だしい妻たちにもひけをとらぬよう、なにごとの行事もお世話なさったが、とりたてて、しっかりした後楯がいないので、あらたまった行事のある時は、やはり頼るところなく心細げである。
 前世からの宿縁が深かったのであろうか、この世に例がないほど美しい男の御子がお生まれになった。(帝は)まだかまだかと待ち遠しくお思いになって、急ぎ参内させてご覧になると、若宮はたぐい稀な容貌である。第一皇子は、右大臣の娘の女御の子で、後楯がしっかりしており、疑いようのない皇太子として、世間では大切に扱い申すけれど、この若宮の美しさには比べようもないので、(帝は、第一皇子を)一通り大切にお思いになるだけで、若宮こそ、思いのままにかわいがりなさる御子として大切になさること限りない。

<語彙>
大納言…太政官(国政を統べる中枢期間)の正三位に相当
北の方…身分の高い人の妻の尊敬語
よし…由緒
うち具す…揃う、備わる(うちは接頭語)
さしあたりて…現に
はなやか…きらびやか、きわだっているさま
儀式…節会、祭事などの行事
はかばかし…てきぱきと進む様、しっかりしている、頼もしい
きよらなり…清らかで美しい、美麗、華美である
玉の…光り輝くほど美しいこと
いつしか…いつの間にか、できるだけ早い時期に
こころもとながる…待ち遠しく思う
右大臣…左大臣に次ぐ太政官の要職
儲けの君…儲君の訓読、皇太子、東宮
かしづく…大切に育てる、大切に世話をする
にほい…美しさ
おほかた…世間一般、普通、おおよそ
私物…個人の専有物として大事にするもの、表向きでなく内々に愛するもの

<注釈>
後見しなければ…「し」は強意の副助詞
急ぎ参らせて御覧ずる…当時の風習でお産は穢れとされ、実家に下がってお産をした
若宮…主人公である光源氏
右大臣の娘の女御…弘徽殿女御

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8月27日 源氏物語 桐壺

<原文>
 いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。はじめより我はと思ひ上がりたまへる御かたがた、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。同じほど、それより下臈の更衣たちは、ましてやすからず。朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積りにやありけむ、いとあつしくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよあかずあはれなるものに思ほして、人のそしりをもえ憚らせたまはず、世のためしにもなりぬべき御もてなしなり。上達部、上人なども、あいなく目を側めつつ、いとまばゆき人の御おぼえなり。唐土にも、かかる事の起りにこそ、世も乱れ、あしかりけれと、やうやう天の下にもあぢきなう、人のもてなやみぐさになりて、楊貴妃の例も引き出でつべくなりゆくに、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼みにてまじらひたまふ。

<現代語訳>
 いずれの天皇の御代であったか、女御、更衣が数多くお仕えなさっている中に、それ程高い身分ではないが、際立って寵愛を受けていらっしゃる方がいた。初めから我こそはと自負なさっていた女御たちは、気にくわない人だと蔑み嫉妬なさる。まして同等の身分の者やそれより低い身分の更衣たちは心穏やかでない。朝夕のお仕えにつけても、人の嫉妬をかきたて、恨みを負うことが多くなったせいであろうか、大変病気がちになり、心細げに里に帰られることが多いのを、いよいよ帝はどこまでもいとしくお思いになり、人の批判を気になさる余裕もなく、世間の語り草にもなりそうなふるまいである。上達部、殿上人なども、むやみに横目ではとても見ていられない程のご寵愛ぶりである。中国にもこういったことがもとで、世も乱れ、具合が悪かったのだと、次第に広く世間でも面白くないことだと、人々の悩みの種となり、楊貴妃の例も引き合いに出されそうになっていくので、更衣はいたたまれないことが多いけれども、恐れ多い帝の愛情の並ぶものがないことを頼みに宮中での生活を送っていらっしゃる。

<語彙>
女御・更衣…天皇の妻は家柄の高い順に「女御」「更衣」「尚侍」と呼ばれる
あまた…数多く、たくさん
さぶらふ…お仕え申し上げる〔謙譲語〕
やむごとなし…身分が高い
ときめく…時流に乗って栄える、寵愛を受ける
めざまし…心外である、気にくわない、興ざめである
やすし…安らか、安心である、穏やかである
篤(あつ)し…病気がちである
里がち…実家に帰っていることが多い様
ためし…語り草、話の種
上達部…天皇、摂政、関白を除く最高位の人々。一位から三位、及び四位の参議
殿上人…清涼殿の殿上の間に出入りを許された人々。四位、五位、及び六位の蔵人
あいなく…むやみに
側(そば)む…横を向く
まばゆし…光り輝くほど美しい、恥ずかしい、見ていられない
おぼえ…評判、寵愛
あぢきなし…甲斐がない、無益である、面白くない
はしたなし…中途半端である、体裁が悪い
かたじけなき…もったいない、恐れ多い、ありがたい

桐壺
源氏物語第1巻の巻名。光源氏の母桐壺更衣の死、源氏の臣籍降下、藤壺の入内、源氏と葵の上との結婚、亡き母に生き写しの藤壺への源氏の思慕などが描かれる〔大辞泉〕

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8月24日 源氏物語一

新潮日本古典集成の源氏物語一を読了しました。
本書は「桐壺」「帚木」「空蝉」「夕顔」「若紫」「末摘花」の6帖を収録。

このシリーズは原文の隣に部分訳が記載されており、注釈も詳しくてお薦めです。
巻末の付録に白居易長恨歌の原文と書き下し文をあわせて収録。

紫式部(973頃~1014頃)
平安中期の女流作家。越前守藤原為時の娘。藤原宣孝と結婚し、夫の没後、「源氏物語」を書き始める。一条天皇の中宮彰子に仕え、藤原道長らに厚遇された。初めの女房名は藤式部。他に「紫式部日記」、家集「紫式部集」など〔大辞泉〕

源氏物語
平安中期の物語。54帖。紫式部作。長保3年(1001)以後の起筆とされるが、成立年未詳。巻名は、桐壺帚木空蝉夕顔若紫末摘花・紅葉賀・花宴・葵・賢木・花散里・須磨・明石・澪標・蓬生・関屋・絵合・松風・薄雲・朝顔・少女・玉鬘・初音・胡蝶・蛍・常夏・篝火・野分・行幸・藤袴・真木柱・梅枝・藤裏葉・若菜上・若菜下・柏木・横笛・鈴虫・夕霧・御法・幻・匂宮・紅梅・竹河・橋姫・椎本・総角・早蕨・宿木・東屋・浮舟・蜻蛉・手習・夢浮橋。幻の次に雲隠があったとされるが、巻名のみで本文は伝わっていない。主人公光源氏の愛の遍歴と栄華を描き、やがて過去の罪の報いを知り苦悩の生涯を終える、幻までの前半と、匂宮・紅梅・竹河をつなぎとして、橋姫以下の、罪の子薫大将を主人公にした暗い愛の世界を描いた宇治十帖とよばれる後半から成る。仏教的宿世観を基底に、平安貴族の憂愁が描かれて、後世の文芸に与えた影響も多大〔大辞泉〕


白居易(772~846)
中国、中唐期の詩人。太原(山西省)の人。字は楽天。号、香山居士。「新楽府」など、平易流暢な詩で、もてはやされた。日本の平安文学に影響を与えた「長恨歌」「琵琶行」の詩は特に有名。李白・杜甫・韓愈とともに「李杜韓白」と並称された。選集に「白氏文集」〔大辞泉〕

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