9月23日 古今和歌集 仮名序

<原文>
 やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひいだせるなり。花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の中をもやはらげ、猛きもののふの心をも慰むるは歌なり。
 この歌、天地のひらけ初まりける時より出できにけり。

<古注>
 天の浮橋の下にて、女神男神となりたまへることを言へる歌なり。

<原文>
 しかあれども、世に伝はることは、ひさかたの天にしては、下照姫にはじまり、

<古注>
 下照姫とは、天稚御子の妻なり。兄の神の形、丘、谷に映りてかがやくをよめるえびすうたなるべし。これらは、文字の数も定まらず、歌の様にもあらぬことどもなり。

<原文>
あらがねの地にしては素戔嗚尊よりぞおこりける。ちはやぶる神世には、歌の文字も定まらず、素直にして、言の心わきがたかりけらし。人の世となりて、素戔嗚尊よりぞ、三十文字あまり一文字はよみける。

<古注>
 素戔嗚尊は、天照大神のこのかみなり、女と住みたまはむとて、出雲の国に宮づくりしたまふ時に、その所に八色の雲の立つを見てよみたまへるなり。

 八雲たつ出雲八重垣妻ごめに八重垣作るその八重垣を


<現代語訳>
(原文)
 和歌は、人の心を種として、様々な言葉となったものである。この世に生きている人は、行うことも多いものなので、心に思うことを、見るもの聞くものに託して、言い出だしたのである。花の間に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもののなかで、いずれか歌を詠まないものがあったであろうか。力をも入れずに天地を動かし、目に見えぬ恐ろしい神をも感動させ、男女の仲をも和らげ、勇猛な武人の心をも慰めるのは和歌である。
 この和歌は、天地開闢の時より生まれた。

(古注)
 天の浮橋の下で、伊弉諾、伊弉冉の二柱がご結婚なさることを詠んだ和歌である。

(原文)
 しかしながら、後世に伝わる和歌は、天上では、下照姫にはじまり、 

(古注)
 下照姫とは、天稚御子の妻である。兄の神の容姿が、丘、谷に映って輝くのを詠んだ夷曲であろう。これらは、文字の数も定まらず、和歌のようではないものたちである。

(原文)
 地上では、素戔嗚尊から起こった。神代には、和歌の文字数も定まらず、純粋でかざらないので、言葉の意味も見きわめるのが難しかったようである。人の代となって、素戔嗚尊より、三十一文字で詠むようになった。

(古注)
 素戔嗚尊は、天照大神の兄である、女性とお住みなさろうと、出雲の国に御殿をお造りなさるときに、その場所に八色の雲が立つのを見てお詠みなさった。

 雲が八重垣のように幾重にも立ちのぼる出雲の地に、妻が住むための八重垣をつくる、その幾重にもめぐらせた八重垣を

<語彙>
ことわざ…行うこと
出でく(来)…現れる、発生する
しかあれども…そうではあるが、しかしながら
ひさかたの…「天」の枕詞
あらがねの…「地」の枕詞
ちはやぶる…「神」の枕詞
素直…純粋でかざらない、素朴である
わ(別、分)く…見きわめがつく、判別がつく
このかみ…年長者、兄、または姉
宮…神の御座す御殿
八重垣…家の周りに幾重にもめぐらした垣根

<注釈>
天の浮橋…天と地の間に架かっていた神話上の橋。伊弉諾と伊弉冉の二柱がこの橋からオノゴロ島に降り立ち、日本の国土を生みなした(古事記上巻、日本書紀神代上)
兄の神…下照姫の兄である味耜高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)
えびすうた…記紀にみられる上代の歌謡「夷曲(ひなぶり)」のこと
素戔嗚尊…伊弉諾と伊弉冉の子、天照大神の弟にあたる
女…素戔嗚尊が八岐大蛇を退治して助けた奇稲田姫

<備考>
仮名序の筆者は撰者の一人である紀貫之
古注は後人の施した注記と見られている

古今和歌集
最初の勅撰和歌集。八代集の第一。20巻。延喜5年(905)の醍醐天皇の命により、紀貫之紀友則凡河内躬恒壬生忠岑が撰し、同13年ころ成立。六歌仙・撰者らの歌約1100首を収め、仮名序・真名序が添えられている。歌風は、雄健でおおらかな万葉集に比べ、優美・繊細で理知的。古今集〔大辞泉〕

テーマ : 古文 - ジャンル : 学問・文化・芸術

Tag : 古今和歌集 仮名序 現代語訳 紀貫之 紀友則 凡河内躬恒 壬生忠岑

コメント

参考にしてください

あやふやな古来の解釈文に疑問をお感じになりませんか?
別の視点で、編者の意図を探るべきと思います。

そのまま読むとあやふやですが、これが書かれていた当時は、『毛詩』が読まれていました(よく『詩経』が持ち出されますが、これは宋代以降です)。そこに詳しく詩歌の六義だとかが書かれていますし、さらにいえば、古い写本ならば真名序の方が仮名序より先に書かれています。古来の解釈があやふやなわけではなくて、そもそも我々の時代の詩歌のあり方の認識と仮名序が書かれた時代の詩歌のあり方の認識にギャップがあるといったところですね。
この記事の問題点を挙げるとするなら、解釈よりもむしろ訳す部分でしょう。『毛詩』の詩の六義と『古今和歌集』真名序及び仮名序の六義は重要度の順序が違います。
すなわち、詩歌が国家のあり方を示すということは同じであれど、その効用のあり方は日本と中国とでは違う。
和歌の起こりは大切ですが、『古今和歌集』仮名序は日本で初めて日本語で書かれた論文みたいなもんです。それはやはり、中国の影響を受けているわけで、それ抜きには仮名序は語れない訳です。
紙幅の問題もありますが、後々そこら辺もお考えになったらいかがでしょうか。

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