11月1日 蜻蛉日記

<原文>
 かくありし時過ぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経る人ありけり。かたちとても人にも似ず、心魂もあるにもあらで、かうものの要にもあらであるも、ことわりと思ひつつ、ただ臥し起き明かし暮らすままに、世の中におほかる古物語の端などを見れば、世におほかるそらごとだにあり。人にもあらぬ身の上まで書き日記して、めづらしきさまにもありなむ。天下の人の、品高きやと、問はむためしにもせよかし、とおぼゆるも、過ぎにし年月ごろのことも、おぼつかなかりければ、さてもありぬべきことなむおほかりける。

<現代語訳>
 このように様々なことのあった歳月も過ぎて、世の中にたいそう頼りなく、ああにもこうにも落ち着かぬ状態で、この世に暮らす人がいた。容姿といっても人並みでなく、思慮分別があるわけでもなくて、このように役にも立たないのも、道理だと思いつつ、ただ日々を過ごしながら暮らすのにまかせて、世の中にたくさん流布している古物語の片端などを見ると、世の中に多くある作り話さえ書いてある。人並みでもない身の上まで日記に書けば、きっと目新しいものになるであろう。世間の人が、身分の高い人の暮らしはどんな風かしらと、もし問うたときの先例にもしてくださいね、と思われるも、過ぎ去った年月のことも、はっきりしなかったので、そのまま書かずにおくべきことが多く混り込んでしまったことだ。

<語彙>
もの(接頭語)…(形容詞・形容動詞に付いて)何となく
はかなし…はっきりしない、頼りない
ふ(経)…時が過ぎる
心魂…思慮分別、精神、才覚
そらごと…作りごと
めづらし…目新しい、素晴らしい
ためし…例、先例、ならわし

<注釈>
とにもかくにもつかで…夫兼家の来訪が途絶え、筆者は妻であるのかはっきりとしない不安定な状態にある
世に経る人…筆者
問はむ…助動詞「む」は仮定の意
おほかりける…助動詞「けり」は詠嘆の意

蜻蛉日記
日記。三巻。藤原道綱母作。977年成立か。藤原兼家との結婚に始まり,夫との不和,子への愛情など二一年間の生活をつづる。女性の筆になる最初の日記文学〔大辞林〕

テーマ : 古文 - ジャンル : 学問・文化・芸術

Tag : 蜻蛉日記 藤原道綱母 現代語訳

コメント

捕捉を書かさせていただきます。この部分だけを見ていても、『蜻蛉日記』の本質的な問題は見えては来ません。ブログの筆者さんは英語が読めるようなので、この冒頭部分の語りとそれ以降の語りとを日本の古文と英語とで読み比べてみてください。
『蜻蛉日記』は最初は一人称語りですね。しかしながら、読み進めていくとわかりますが、次第に三人称語りが介入してきます。これは『蜻蛉日記』に限らず後の『和泉式部日記』にもいえることなのですが、近代でいうところの「半話者」に近い語りがなされるわけですね。
では、そのはじめの一人称語りとそのあとの語りを英語ではどのように書かれているのか比較されては良いのではないでしょうか。
それと、注釈も少し捕捉する必要があると思います。何故、兼家は受領の娘の藤原道綱母と婚姻したのか。たしかに彼女は本朝三大美女といわれていました。でも、なぜ結婚までする必要があったのか。そして、なぜ後々疎遠になるのか。この辺を考えると、彼女が『蜻蛉日記』を書いた背景が鮮明になりますよ。

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